共感はタダではない

ブレイディみかこさんの『他者の靴を履く』という本に、共感が搾取されるという話が出てきます。読んだときは大きな構造の話として受け取ったのですが、あとになって、小さなことまで含めればよく似たものは身の回りに溢れているのではないか、と思うようになりました。

今回はこの感覚を、いくつかの研究を手がかりに整理してみます。

エンパシーという能力

本の中で著者は、エンパシー(empathy)とシンパシー(sympathy)とを区別しています。シンパシーが、かわいそうなどと自然に湧いてくる感情であるのに対し、エンパシーは「他者の靴を履いてみる」こと、つまり自分と違う立場の人がどう感じているかを想像する能力です。こちらは自然と湧くものではなく、能力として身につけ、意思や努力によって発揮するものだと整理されています。

この整理は私にはしっくりきました。同時に、エンパシーが能力なのだとしたら、能力一般が持つ厄介な性質も引き継ぐことになります。上手な人ほど涼しい顔でこなすので、外からは努力に見えなくなっていく、という性質です。

たとえば、人の気持ちや状況によく気がつく人のまわりでは、調整ごとや気配りの仕事が自然とその人に集まっていきます。会議の空気が悪くなれば取りなし、忙しそうな人がいれば先回りして仕事を引き取る。そういう働きに対して、「あの人はそういう性格だから」という言葉で説明されることも多いように思います。悪気のない、ごく自然な言い方です。ただよく見ると、これは意思と努力で発揮されているものを生まれつきの属性や性質に読み替えて、労力として数えない見方でもあります。冒頭の「共感の搾取」という強い言葉の中には、この「労力が数えられなくなっていく」過程が含まれているように思います。

共感という労働

心理学の研究に目を移すと、エンパシーが努力の産物であることを、実験で正面から測ったものがあります。

Cameron et al. (2019) は、共感の労力を測る実験を作りました。画面に人物の写真が表示されるたびに、参加者はその人への向き合い方を2つから選びます。ひとつは、年齢や見た目の特徴を客観的に書き出すこと。もうひとつは、その人が何を感じているかを想像し、内面を書き出すことです。どちらを選んでもよい状態で何十回も繰り返してもらうと、共感する方が選ばれたのは平均35%ほどでした。11の研究、のべ1,204名で一貫して、人は共感の方を避けたのです。共感の側は「頭を使う」「嫌だ」「うまくできる気がしない」と評価されていて、そう感じる人ほど避けていました。別の実験では、共感する選択肢を選ばせるのに、平均39セントの上乗せが必要だったと報告されています。

写真の人物が笑顔でも、回避は変わりませんでした。共感を避ける理由が、つらい感情を見たくないだけなら、笑顔になら共感を選んでもよいはずです。そうならないのは、ポジティブな感情であっても、他人の内面を感じ取ること自体が認知的な労働だからです。一方で、「あなたは共感がうまい」というフィードバックを与えると、回避は消えました。うまくやれる見込みが立つと、感じられる労力や嫌さの評価まで下がって、共感は選んでもよいものに変わったのです。共感を避けるのは冷たさの表れではなく、コストと見込みの計算の結果だということです。

人の気持ちによく気がつく人は、多くの人が39セント積まれてやっと選ぶこの労働を、日常的に、頼まれる前から払い続けていることになります。

数えられない労力

ところが、払われているこの労力は、受け取る側からは同じようには見えていません。見え方の狂いには2つの段階があります。目に入っていても、実際より安く見積もられること。そして、そもそも目に入らないことです。

前者を職場で捉えたのが Toegel et al. (2013) です。ある人材紹介会社で、上司が部下に行う感情面のケア、たとえば不安を聞いたり落ち込みに付き合ったりする働きが、双方からどう見えているかを調べました。ケアをする上司の側は、それを職務を超えた行為であり、報われてよいものだと考えていました。受け取る部下の側は、同じ行為を「上司という役割の一部」と定義していて、お返しの必要を感じていなかったと報告されています。部下の側の見方にも一理あると思いますが、ここで見たいのはどちらが正しいかではなく、同じ一つの行為が、払う側には特別な労力として、受け取る側には当たり前の安いものとして、正反対に見積もられているということです。

後者の、そもそも目に入らない方は、恋人や夫婦というもっと近い間柄で調べられています。相手の気持ちや事情が分かったとき、人がとる行動の多くは「自分の希望の方を引っ込める」ことです。気の進まない外出に付き合う。相手の事情を汲んで、友人との予定を諦める。Visserman et al. (2019) は、恋人や夫婦426名に日記をつけてもらい、こうした日常の小さな「犠牲」がパートナーにどれくらい気づかれているかを調べました。結果はほぼ半々でした。犠牲をした本人がそれを申告した日のうち、相手が気づいていたのは約半分で、残りの半分は見逃されていました。そして、気づかれた犠牲はその日の相手の感謝を高めた一方で、見逃された犠牲は感謝を生まず、犠牲をした側は報われなさを感じて、関係への満足感を下げていました。親しい間柄でも、相手を思っての行動の半分は、最初から視界に入っていないのです。

見えても安く見積もられ、見えなければ数えようもない。どちらの経路をたどっても、その労力は「役割だから」「性格だから」で片づけられる、そこにあって当然のものになっていきます。そうなれば、誰の悪意もないまま、気持ちを汲んでくれる人にばかり頼みごとや負担が寄っていきます。冒頭で「身の回りに溢れている」と書いた景色は、こうして出来上がるのだと思います。

感謝の出し渋り

この状況を受け取る側から変えられるとしたら、入口は気づくことです。Visserman らの研究でも、気づかれた犠牲はきちんと感謝を生んでいました。ただ、気づいたあとには、その感謝を口に出すというもう一つの段階が残っています。そして、この段階にも見積もりの誤りが潜んでいることが分かっています。

Kumar & Epley (2018) は、参加者に感謝の手紙を書かせて、受け取った相手の反応を予測させました。そして予測と実際の反応を比べると、書き手は相手の驚きと喜びを一貫して過小評価し、相手が感じる気まずさを過大評価していました。

この読み違いが起きる原因の一つは、注意の向き先のずれです。書き手は「うまく書けるか」という自分の技量を気にしていたのに対し、受け取った側が感じ取っていたのは、言葉の巧拙ではなく温かさでした。そして参加者たち自身が、感謝をもっと伝えたいと思っているのに実際にはそれほど伝えていない、と答えています。

つまり、感謝を伝えることは、本人が思っているより喜ばれ、思っているほど気まずくない行為です。それでも「うまく言えないかもしれない」「変な空気になるかもしれない」という予測が先に立って、口には出されないままになりやすいのです。労力はそもそも気づかれにくく、せっかく気づいても、感謝は言葉になる前に止まってしまう。受け取る側は、放っておくと二重に応えそこねることになります。

受け取る側にできること

誤解のないように書いておくと、共感を発揮するのは損だ、という話ではありません。エンパシーは他者と関わるための大切な能力ですし、それを発揮できることはとても人間らしいことだと感じます。ここまでの研究が示していたのは、受け取る側の見え方の偏りです。労力を安く見積もる、半分は見逃す、感謝を出し渋る。どれも悪意ではなく、放っておくと誰でも自然にそうなるものでした。

だから、最後に自分へ向けたい問いは「誰かの共感にタダ乗りしていないか」です。会議がスムーズに進んだとき、そこには空気を読んで発言の順番を譲った人がいたかもしれません。頼みごとをしやすいと感じる相手は、こちらの事情を汲んで引き受けてくれているだけかもしれません。「そういう性格の人」という説明が頭に浮かんだときは、たぶん労力を数えそこねているときです。

やることは2つあれば足りそうです。誰がこちらの気持ちや事情を汲んでくれているのかに気づくこと。気づいたら、感謝を言葉にして返すこと。まずは、今日誰かが自分のために気づいて動いてくれたことを数えるところから始めてみます。

参考

  • Cameron, C. D., Hutcherson, C. A., Ferguson, A. M., Scheffer, J. A., Hadjiandreou, E., & Inzlicht, M. (2019). Empathy is hard work: People choose to avoid empathy because of its cognitive costs. Journal of Experimental Psychology: General, 148(6), 962–976.
  • Toegel, G., Kilduff, M., & Anand, N. (2013). Emotion helping by managers: An emergent understanding of discrepant role expectations and outcomes. Academy of Management Journal, 56(2), 334–357.
  • Visserman, M. L., Impett, E. A., Righetti, F., Muise, A., Keltner, D., & Van Lange, P. A. M. (2019). To “see” is to feel grateful? A quasi-signal detection analysis of romantic partners’ sacrifices. Social Psychological and Personality Science, 10(3), 317–325.
  • Kumar, A., & Epley, N. (2018). Undervaluing gratitude: Expressers misunderstand the consequences of showing appreciation. Psychological Science, 29(9), 1423–1435.
  • ブレイディみかこ (2021). 『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』文藝春秋.