情熱と応援のすれ違い

仕事、勉強、スポーツ、音楽。対象は違っても、何かに打ち込んでいる人がいます。外から見れば成果も出ていて、うまくいっているように見える。それなのに、本人の内側は焦りや満たされなさでいっぱいで、客観的には望ましい結果が出ても心の内は苦しい、ということがあります。一方で、同じように打ち込みながら、充実感に溢れている人もいます。この違いは何なのでしょうか。

何かに打ち込めること自体は、人生を豊かにする良いことのはずです。実際、頑張っている人を見れば、周囲は自然と応援します。それでも、外からはうまくいっているように見えて苦しい人がいる。今回はここのギャップについて考えてみたいと思います。

情熱の二元モデル

Vallerand et al. (2003) は、情熱を「好きで、自分にとって重要で、多くの時間とエネルギーを注いでいる活動への強い傾倒」と定義しました。そして、情熱と呼べるほどの活動は、単なる好きな活動にとどまらず、その人のアイデンティティの一部になっていくと考えました。ダンスに情熱を持つ人は、ダンスをする人ではなく「ダンサー」になる。この取り込みを、内在化(internalization)と呼びます。

この内在化のされ方には2通りあり、どちらで取り込まれたかによって、情熱が2種類に分かれます。誰かに求められたからではなく、自分の意思で「大切な活動」として取り込んだ場合に育つのが、調和的情熱です。活動は生活の大事な一部ですが、他の領域と両立していて、やる・やらないの手綱は自分の側にあります。一方、「認められたい」「やめたら自分の価値がなくなる気がする」といった気持ちが絡んだ形で取り込まれた場合に育つのが、強迫的情熱です。活動を愛してはいるのですが、やらずにいられない内的な圧力があり、生活の他の部分としばしば衝突します。

この内在化の仕方の違いだけで、行き着く先は分かれます。仕事への情熱を扱ったメタ分析(Pollack et al., 2020)では、強迫的情熱も、労働時間やコミットメント、職務満足と正の関連を持っていて、数字の上では「頑張れている」ように見えます。ただ、バーンアウトともはっきり関連していて、一方でパフォーマンスとの間には一貫した関連が見られませんでした。強迫的な頑張りで成果を出す人がいない、という意味ではありません。平均して見ると、働く時間が増えている割にパフォーマンスの高さにはつながっておらず、消耗だけは確実に増えている、という構図です。調和的情熱のほうは、職務満足や人生の満足に加えてパフォーマンスとも正の関連を持ち、バーンアウトとは負の関連でした。

それでいて、どちらの情熱も、活動を愛し、多くの時間を注ぎ、成果につながりうる点では同じです。打ち込む量や成果といった、外から見えやすい指標にはほとんど差が出ません。

情熱を強迫的にするもの

同じように打ち込み始めても、ある人は「大切だから」の形で活動を取り込み、ある人は「認められたい」が絡んだ形で取り込む。どちらの取り込み方になるかを追いかけた研究では、環境の側の要因が目立ちます。

Mageau et al. (2009) は、楽器を習い始めたばかりの10代前半の子供たち約200名を1学期のあいだ追いかけて、誰がどんな情熱を発達させるかを調べました。親や教師が本人の自律性を支えている、つまり自分で選ばせてプレッシャーをかけない環境の生徒ほど調和的情熱に、そうでない環境の生徒ほど強迫的情熱に向かいました。加えて、親がその活動を強く価値づけている生徒や、自分が何者かをその活動だけに頼って定義している生徒も、強迫的情熱に向かいやすいことが示されました。活動がアイデンティティの一部になること自体は、どちらの情熱でも起きます。分かれ目になっていたのは、一部になっているのか、ほとんど唯一の柱になっているのか、という占め方の側です。本人の性格だけの話ではなく、周囲の期待の濃さと、活動が本人の中で占める大きさが、情熱の質に絡んでいます。

周囲の要因を、もう一歩踏み込んで調べた研究もあります。Roth et al. (2009) は、親の関わり方を3つに分けて比べました。子が期待に応えないと愛情や関心を引っ込める、条件付きの否定的な関わり。子が期待に応えたときに、愛情や関心をいつも以上に注ぐ、条件付きの肯定的な関わり。そして、子の自律性を支える関わりです。注目したいのは2つめです。成果が出たときに愛情や関心が増える関わりは、一見ただの温かい応援に見えます。しかし、この関わりを強く受けている子ほど、「やりたいからやる」ではなく「やらないと落ち着かない」という内側からの圧力(internal compulsion)で動く傾向が強く、ネガティブな感情を抑え込みがちで、勉強への向かい方も興味より成績が目的になっていました。褒められて関心を注がれるという温かい経験が、「応え続けなければ」という圧力の源にもなっている、という結果です。

応援のすれ違い

ここに、厄介なズレがあると思っています。頑張ることは一般に望ましいこととされていて、頑張っている人を見れば、周囲は自然と応援します。成果が出れば褒めて、関心を注いで、期待をかける。そこに悪意はどこにもありません。

けれど、打ち込む量や成果を見ている限り、2つの情熱は見分けがつきません。生活の他の部分との衝突や、手放せなさといった手がかりは、近くにいれば見えることもありますが、応援はもっと遠い距離からも注がれます。だから応援の多くは、情熱の質を見分けないまま注がれることになります。調和的情熱で打ち込んでいる人にとって、称賛や期待は追い風です。一方、強迫的情熱の渦中にある人にとっては、同じ称賛や期待が「認められているうちは、自分に価値がある」という感覚をさらに強めかねません。応援する側は活動を応援しているつもりでも、受け取る側では意識せずとも「次も応えなければ」が一つ増えてしまう。誰の落ち度でもないところが、厄介な点です。

この記事を書きながら考えていたのは、自分が応援する側に立つときのことです。成果を褒めること自体は、やめる必要のない自然な応援です。ただ、称賛や期待はどうしても成果の側に集まりやすい。成果が出ていない日にも変わらず関心を向けること、結果ではなく活動そのものの話を聞くこと。条件の付きにくい応援の形も、きっとあります。頑張っている人の隣に立つとき、情熱には2種類あることを、覚えておきたいと思います。

参考

  • Vallerand, R. J., Blanchard, C., Mageau, G. A., Koestner, R., Ratelle, C., Léonard, M., Gagné, M., & Marsolais, J. (2003). Les passions de l’âme: On obsessive and harmonious passion. Journal of Personality and Social Psychology, 85(4), 756–767.
  • Mageau, G. A., Vallerand, R. J., Charest, J., Salvy, S.-J., Lacaille, N., Bouffard, T., & Koestner, R. (2009). On the development of harmonious and obsessive passion: The role of autonomy support, activity specialization, and identification with the activity. Journal of Personality, 77(3), 601–646.
  • Roth, G., Assor, A., Niemiec, C. P., Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2009). The emotional and academic consequences of parental conditional regard: Comparing conditional positive regard, conditional negative regard, and autonomy support as parenting practices. Developmental Psychology, 45(4), 1119–1142.
  • Pollack, J. M., Ho, V. T., O’Boyle, E. H., & Kirkman, B. L. (2020). Passion at work: A meta-analysis of individual work outcomes. Journal of Organizational Behavior, 41(4), 311–331.